新宿から歴史を発信!!!
むかちんです(≧▽≦)
本日は映画・テレビ・舞台シリーズの第二弾として
ポール・ニューマン(1925-2008)
を紹介します(*‘∀‘)
◆ポール・ニューマンは幼少期に演劇をしていたものの、そこまで大きな関心は示さず、
高校卒業後も定職にはつかずに百科事典の訪問販売などをして、生計を立てていたそうです。
家業を継ぐために、オハイオ大学に進むものの途中で第二次世界大戦勃発、
後部銃座手として、沖縄戦にも参加しました。
終戦後、オハイオ大学を出て、ケニオン・カレッジでフットボールに打ち込みますが、
チーム内でもめて除名処分されたことから、演劇を本格的に学び始め、進学先のイェール大学でプロデューサーの目に止まり、ニューヨークに招かれます。
ニューマンは「銀の盃」でスクリーンデビューを果たしますが、
作品自体が映画評論家から不評を買い、不本意なデビューを飾ります。
ニューマンはテレビドラマや舞台を主とするようになると、高い評価を受けるようになります。
ジェームズ・ディーンが急逝し、主演ポストが空いた「傷だらけの栄光」に出演、
ここで一躍、ニューマンは脚光を浴びるようようになります。
1969年にロバート・レッドフォードと共演した「明日に向かって撃て」は生涯最高のヒット。
その後は映画製作者としても活躍し、その中でカーレースにも熱中するようになったことから、44歳にしてレーサーとして、プロデビューします。
政治活動も行い、ジョンソン政権下でベトナム戦争への大量派兵が行われたときには、
反戦運動と公民権運動を展開、ジョンソン政権のブラックリストにも入るほどでした。
1980年代に入ると「評決」など社会派作品にも出演。
またサラダ自慢をしていた流れで半分ギャグで食品会社を設立したところ、
極力添加物を排除したドレッシングなどが受けて、ヒット。
利益は一部貧困地域などに寄付されました。
還暦を過ぎても一線で活躍し続けたニューマンですが、
記憶力と演技力の衰退が顕著となり
2007年に引退を表明、2008年、肺がんによってこの世を去ります。
83歳でした。
◆名言
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私のような金持ちから税金を取らないのは馬鹿げている
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むかちん