むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記272 芸術で世界に影響を与えた偉人シリーズ② ルネサンス期ドイツ最大の画家〜デューラー

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧∀≦)

 

今日は、芸術で世界に影響を与えた偉人シリーズの第二弾!!!

 

ルネサンス期ドイツ最大の画家と称される

 

デューラー(1471-1528)

 

を紹介します✨

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC

 

デューラーは1471年にニュルンベルクで誕生し、一説には14人兄弟、もしくは18人兄弟の3番目として誕生したと言われています(≧∀≦)

 

父は金細工職人として成功を納めていました。

 

デューラーは2、3年学校に通ったあと、父親から金細工の基礎などを学びましたが、

15才で始めた描画で才能の片鱗を見せ始めていました。

 

デューラーは見習い期間を終了すると、各地に4年間遍歴に出て、ニュルンベルクに戻りますが、そこから3ヶ月後に芸術世界の勉強をするため、単身、イタリアのヴェネツィアへ渡りました。

 

彼はそこからニュルンベルクへ戻り、作業場で作品作りをします。

初期にもっとも優れていたのは木版印刷のようです(^з^)-☆!!

 

またエングレービングと呼ばれる技法で制作された版画で、彼の『放蕩息子』という作品はのちにヴァザーリに絶賛されます。

 

1498年、木版画集『黙示録』で成功を収めます。

 

彼の評判はヨーロッパ中に知れ渡り、ラファエロ、ベリーニ、ダ・ヴィンチなどと親睦を深めていたそうです。

 

彼の晩年の代表作、『四人の使徒』はちょうど、ルターによる宗教改革が行われた時期で、ルターに共鳴したデューラーが故郷ニュルンベルクに寄贈したものとされています。

 

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参照元 

http://art.pro.tok2.com/D/Durer/Four.htm

 

むかちん歴史日記271 芸術で世界に影響を与えた偉人シリーズ① 中国の書の大家〜王羲之

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今日は芸術で世界に影響を与えた偉人シリーズの第一弾!!

中国の書の大家、書聖と呼ばれた

 

王羲之(303-361)

 

を紹介します(〃^∇^)o_彡☆

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E7%BE%B2%E4%B9%8B

 

王羲之魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族の家庭に生まれ、

東晋の有力者の目に止まり、その娘婿として結婚、別の有力者からは彼の幕僚に請われて就任し、王羲之はその人格と識見を讃えられます。

 

中央への要職にも度々任命されていましたが、これを度々固辞し、友人による懇願によって、ようやく護軍将軍に就任するも、地方へ転出を希望し、地方へ行ってしまいます。

 

王羲之は書でその名を馳せ、「書聖」と呼ばれました。

彼の作品としては行書の「蘭亭序」が有名です。

 

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参照元 

http://y-tagi.art.coocan.jp/505.html

 

のちの清代の乾隆帝もこの王羲之の書を愛したと言われていますが

のちの研究により、王羲之の真書は戦乱で消失してしまっており

現存するものは精密な模写であるとされています。

 

日本でも奈良時代には彼の書を手本として書を学んでいました。

 

王羲之は、晩年は官を辞し、地方で悠々自適に過ごしたとされています。

 

むかちん

 

むかちん歴史日記270 世界に影響を与えた賢者たちシリーズ⑤ 実存主義の提唱者〜サルトル

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*´∀`*)

 

今日は世界に影響を与えた賢者たちシリーズの第5弾!!!

 

実存主義の提唱者、

サルトル(1905-1980)

 

を紹介します(〃^∇^)o_彡☆

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AB

 

 

1905年、サルトルはフランス、パリにて誕生します。

生後15ヶ月で海軍将校だった父が逝去、フランス系ドイツ人の母方の祖父に育てられます。

この祖父がドイツ語の教授であり、サルトルの知的好奇心を大いに刺激されます。

3歳の時に、右目を失明します。

 

1928年、アグレガシオン(1級教員資格)に落第するものの、翌年には首席で合格、

1931年には高等中学校の哲学科の教員になります。

 

フッサール現象学に興味をもち、ベルリンへ留学。

哲学・文学両面に渡る執筆活動を行い、1938年には小説『嘔吐』を執筆して名声を博します。

 

1943年、『存在と無』を出版し、フッサールハイデガーに色濃く影響を受けたものとなっています。

 

戦争体験を通じて次第に政治的関心を強めていったサルトルは、

1945年にはボーヴォワールメルロー=ポンティらと雑誌『レ・タン・モデルヌ』を発行し、以後、著作活動の多くはこの雑誌を中心に発表されます。

 

戦後、サルトル実存主義はフランスを中心に世界中を席巻します。

 

サルトルは徐々にマルクス主義に傾倒するようになり、ソ連を擁護する立場を取ります。

政治的立場を鮮明にしていき、第三世界の民族独立を支持、ソ連の侵攻については批判も加えます。

 

サルトルノーベル文学賞にも選出されますが、「作家は自分を生きた制度とすることをしてはならない」とこれを拒絶。

ノーベル賞を辞退します。

 

サルトル実存主義の思想家で、特に彼の場合は「実存は本質に先立つ」と主張して、

無神論実存主義、と呼ばれました。

 

1973年に激しい発作に襲われ、両目とも失明します。

 

1980年、肺水腫により死去。74歳でした。

 

◆名言

ーーーーーーーーーー

悲しむことはない。いまの状態で何ができるかを考えて、ベストを尽くすことだ

 

ーーーーーーーーーー

人は自分があろうとする姿以外にはありえない。このことが実存主義の第一原則である

 

ーーーーーーーーーー

自由であること、それは望み通りのことが出来ることではない。出来ることをやりたいと望むことである

 

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自由とは、自由であるべく不自由になることである

 

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むかちん

 

むかちん歴史日記269 世界に影響を与えた賢者たちシリーズ④ 一躍ブームになった心理学者〜アドラー

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*´∀`*)

 

今日は世界に影響を与えた賢者たちシリーズの第4弾!!

 

個人心理学を打ち立て、近年ブームとなった心理学者

 

アドラー(1870-1937)

 

を紹介します(〃^∇^)o_彡☆

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC

 

アドラーは1870年にハンガリーユダヤ人の父親とチェコスロヴァキアユダヤ人の母親との間に生まれ、中産階級の家庭で育ちました。

 

アドラーの心理学にはアドラーの家庭環境が大きく影響していると言われ、

アドラーは6人兄弟と言う大家族で育ち、それがアドラーの独自の理論を発展させる基盤となったと言われています😊✨

 

アドラーは幼い頃、声帯の痙攣とくる病に苦しみ、弟をジフテリアで亡くしたこと、

また自身が4歳ごろに肺炎で死にかけた経験もあり、

アドラーは医師を志すようになります。

 

1895年にウィーン大学の医学部を卒業すると、

ウィーンの中下層階級が多い地域で、眼科医を開業し、

このときの経験ものちの彼の理論に活きてきます。

 

1898年、最初の著作となる『仕立て業のための健康手帳』を刊行。

1902年にはフロイト精神分析のグループに招かれ参加するが、次第にフロイトと意見を異にする機会が増え、

1911年にアドラーは自身と近い仲間で自由精神分析協会を設立(1913年に個人心理学会へと改称)します。

 

1916年には第一次世界大戦に軍医として従軍します。

 

1922年、政治活動とは一線を画してきたアドラーですが、

世界大戦集結の混乱の中で、教育改革に従事し、児童相談所を設立し、

子供たちの精神的な健康のために尽力しました。

 

診療と子供の教育に対する新しい提言を求められるなど、アドラーは多忙を極めていましたが、精力的な活動により、国際的な名声を高めていき、

1926年、アメリカで講演会活動を行い、大成功を収めます。

 

1934年にオーストリアファシズム政権が誕生すると、

アドラーは一家でアメリカへ移住します。

 

アドラーは楽観主義的な心理学を提唱していて、個人心理学の知識を通じて、世界をよりよくできると確信していました。

 

アドラーは1937年、心臓発作により急死します。

 

◆名言

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人は過去に縛られているわけではない。あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。過去の原因は「解説」になっても「解決」にはならないだろう

 

ーーーーーーーーーー

ほかの人の自分に対する評価は、その人の個人的な意見であり、自分の評価そのものには、関係しない

 

ーーーーーーーーーー

それが「あなたの課題」ならば、たとえ親に反対されても従う必要はない。自分の課題に足を踏み込ませてはいけないのだ

 

ーーーーーーーーーー

他人からの賞賛や感謝など求める必要はない。自分は世の中に貢献しているという自己満足で十分である

 

ーーーーーーーーーー

幸福な人生を歩む人のライフスタイル(=性格)は、必ずコモンセンス(=共通感覚)と一致している。歪んだ私的論理に基づく性格では、幸せになることはできないだろう

 

ーーーーーーーーーー

カッときて自分を見失い怒鳴ったのではない。相手を支配するために、怒りという感情を創り出し利用したのだ

 

ーーーーーーーーーー

悲しいから涙を流すのではない。相手を責め、同情や注目を引くために泣いているのだ

 

ーーーーーーーーーー

人の育て方に迷ったときは、自分に質問するといい。「この体験を通じて、相手は何を学ぶだろうか?」と。そうすれば、必ず答えが見つかるだろう

 

ーーーーーーーーーー

「仕事で失敗しませんでした。働かなかったからです」「人間関係で失敗しませんでした。人の輪に入らなかったからです」。彼の人生は完全で、そして最悪だった

 

ーーーーーーーーーー

自分の不完全さを認め、受け入れなさい。相手の不完全さを認め、許しなさい

 

ーーーーーーーーーー

大切なことは共感すること。共感とは、相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じることだ

 

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あなたが悩んでいる問題は本当にあなたの問題だろうか。その問題を放置した場合に困るのは誰か、冷静に考えてみることだ

 

ーーーーーーーーーー

ピンク色のレンズのメガネをかけている人は、世界がピンク色だと勘違いをしている。自分がメガネをかけていることに気づいていないのだ

 

ーーーーーーーーーー

わかっているけどできませんとは、単にやりたくないだけだ

 

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信用するのではなく、信頼するのだ。信頼とは裏付けも担保もなく相手を信じること。裏切られる可能性があっても相手を信じるのである

 

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「親が悪いから」「パートナーが悪いから」「時代が悪いから」「こういう運命だから」これらは責任転嫁の典型的な言い訳である

 

ーーーーーーーーーー

「みんなが私を嫌っている」「今回駄目だったから次も駄目だ」という思い込みは、冷静に立証すれば消えていく

 

ーーーーーーーーーー

誰かが始めなくてはならない。見返りが一切なくても、誰も認めてくれなくても、あなたから始めるのだ

 

ーーーーーーーーーー

自分は役に立っていると実感するのに、相手から感謝されることや、褒められる必要はない。貢献感は自己満足でいい

 

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むかちん

むかちん歴史日記268 世界に影響を与えた賢者たちシリーズ③ 人間の生き方を探求し、世界に影響を与えた〜モンテーニュ

新宿から歴史を発信!!

むかちんです(〃^∇^)o_彡☆

 

今日は、世界に影響を与えた賢者たちシリーズの第3弾!!!

人間の生き方を探求し続けた哲学者、

 

モンテーニュ(1533-1592)

 

を紹介します(^з^)-☆!!

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5

 

モンテーニュはフランス、ペリゴーニュ地方に生まれ、実家は商業を営み、富裕でした。

彼が6歳の時に、家庭教師がつくのですが、まだフランス語もままならないうちからラテン語で教育を受けるという特異な教育を受けました。

 

その後、トゥールーズで法学を学んで、フランスの法官になります。

1557年、ボルドーの高等法院で裁判官になりますが、

これが彼にとって情熱を持って取り組める仕事だとは言い難かったようです。

 

1568年、父が亡くなったことを契機に、父の領地を引き継ぎ、経営に当たるとして、法官を辞任して、故郷に帰ります。

 

そこからモンテーニュは本を読み漁り、執筆活動なども始めます。

読んだ本はギリシア・ローマの古典が中心だったようです。

 

1572年頃から読書をして感じたことを書きつけ、

1580年『エセー』1巻2巻を刊行します。

 

1588年、3巻を刊行すると同時に1巻2巻の大改訂、補訂などを行います。

 

エセーの意味は「試み」という意味で、

体系的な哲学書の類のものではなく、

自分自身の経験や古典の引用を元に考察したことを記しています。

 

17世紀にデカルトパスカルなどに多大なる影響を与える本となりますが、

のちにこれは無神論の本として禁書の指定を受けることになります。

 

この『エセー』に登場する言葉で「ク・セ・ジュ」という言葉があります。

高校の倫理の教科書でも頻繁に取り扱われるくらい有名な言葉ではあるのですが、

この言葉の意味は「私は何を知っているか」。

 

モンテーニュの「懐疑主義」を表す言葉として非常に知られていますが、

懐疑主義と言ってしまうと、完全に疑ってかかる前提で捉えられてしまうのですが

そうではなく、「自分が何を知っているのか、どこまでわかっているのか」を問いかけ続けることなのです。

 

常に問い続ける柔軟な言葉として捉えられています。

 

モンテーニュは死ぬまでこの『エセー』を加筆修正し続け、

1592年死去します。

 

◆名言

ーーーーーーーーーー

いつかできることは
すべて、今日でもできる。

 

ーーーーーーーーーー

「きっと苦しむだろう」
と不安に思う者は、

すでにその不安によって
苦しんでいる。

 

ーーーーーーーーーー

運命は我々に
幸福も不幸も与えない。

ただ、その素材と
種子を提供するだけだ。

 

ーーーーーーーーーー

人間は起こることよりも、
起こることに対する見解によって、
ひどく傷ついてしまう。

 

ーーーーーーーーーー

この世で最も大事なのは、
自立の方法を知ること。

 

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むかちん

 

むかちん歴史日記267 世界に影響を与えた賢者たちシリーズ② 実践儒学陽明学の創始者〜王陽明

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(〃^∇^)o_彡☆

 

今日は世界に影響を与えた賢者たちシリーズの第二弾!!

実践を通じて学ぶ儒学陽明学の提唱者

 

王陽明(1472-1529)

 

を紹介します(*´∀`*)

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E9%99%BD%E6%98%8E

 

王陽明は1472年、明代の中国に生まれます。

1481年、科挙を10才で首席で合格した秀才で、

この他にも仏教、詩学、武芸など様々な才能に秀でていました。

 

青年時代は武術に熱中し、辺境問題には軍略が必要として、

兵法を学びました。

28才で官吏になるが、儒学の勉強も怠らず続けました。

 

彼が35才の時に独断的な政治を行う宦官を批判する上奏文を皇帝武宗に提出しますが、これは受け入れられず、

逆に陽明が左遷されることになります。

 

彼は少数民族の地で文化も異なる左遷先にいながら、思索をつづけ

新たな学説、陽明学を生み出します。

 

王陽明自身ももともとは朱子学の徒でありましたが、

自己の心によってではなく、自己の外にある事物それ自体を探求することによって真理を得られるという考え「性即理」であったが、

王陽明は「聖人の道はわが心のうちに完全にそなわっている。理を(外部の)事物に求めていたきたのは間違っている」と考え、「心即理」と説きました。

 

また、学問の目的は、「致良知」=各人に生まれながらにそなわっている心、良知を実現することにあるといいます。

良知とは、知(認識)と行(実戦)を統一したものでなければならないとする「知行合一」、

それは人にそなわった直感的道徳力である、と説きます。

 

この陽明学は日本にも伝播し、大塩の乱を起こした大塩平八郎、幕末の維新志士や吉田松陰などは陽明学に影響を受けた人物と言われています。

 

また、陽明は高官としても活躍し、県知事を任せられたのを皮切りに高官を歴任し、

三つの大きな軍事的業績をあげて「三征」と呼ばれるに至ります。

 

陽明は烏合の衆の民兵たちを組織して、反乱軍を鎮圧していることから、

彼の指揮能力の高さを窺い知ることができます。

 

1527年、広西で反乱が起こると、王陽明に鎮圧の命令が下ります。

彼は一旦はこれを辞退するのですが、それを許されず、病気を押して、討伐軍の指揮にあたり、それらを平定して事後処理を進めます。

 

しかし、帰還命令は出なかったため、自らの独断により、帰郷を目指しますが、その帰路で結核が重くなり、亡くなります。58才でした。

 

むかちん

 

 

むかちん歴史日記266 世界に影響を与えた賢者たちシリーズ① ローマの哲人皇帝といわれた~マルクス・アウレリウス・アントニヌス

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は世界に影響を与えた賢者たちシリーズの第一弾!

 

ローマの五賢帝の一人にして哲人皇帝とよばれた

 

マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121-180)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%AC%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%8C%E3%82%B9

 

マルクス・アウレリウス・アントニヌスことマルクス・アンニウス・カティリウス・セウェルスは、121年、貴族の子として、ローマに誕生します。

 

父はアウレリウスが3歳のときに亡くなり、その後母は再婚しませんでしたが、

母は貴族の優雅な暮らしで堕落しないよう、粗食と宗教的敬虔さを彼に教えました。

 

アウレリウスは当時の貴族階級の御多分から漏れず、家庭教師による教育を施され、

彼の家庭教師、アレクサンデルはホメロスの研究によって知られた文学者で

アウレリウスもまた彼から修辞法を学びます。

 

彼より2代前の五賢帝の一人、ハドリアヌスがアウレリウスを寵愛し、

前例がないわけではなかったが、6歳のときに異例の騎士階級への叙任は

ハドリアヌスの影響では?とささやかれていました。

 

135年、アウレリウスは皇帝の重臣、アエリウスの娘と結婚するよう、ハドリアヌスに言われ、結婚して皇帝の側近としての地位を確立しました。

 

またアエリウスを通じて、ストア哲学者のアポロ二ウスから学ぶ場を得て、

彼の禁欲主義的な生活に大きな影響を与えました。

 

ハドリアヌスが不治の病にかかり、彼には子供がいなかったので、

アントニヌス・ピウスが後継指名されましが、

このときにアウレリウスも知らぬ間にアントニヌス・ピウスの養子とされてしまいます。

 

アントニヌス・ピウスには宮殿で貴族らしい生活をしろと言われますが

ストア派の禁欲主義を是としていたアウレリウスにとっては苦痛と苦悩の日々でした。

 

136年、アウレリウスは成人を迎えると、弁論術を学び始めた、考えられています。

 

161年、アントニヌス・ピウスが亡くなると、

アントニウスは皇帝に即位することになりますが、彼は全くそこに魅力を感じてはいませんでした。

ただ、皇帝に即位しないというのも不義理だという迷いがあったことも事実のようです。

 

彼はストアの哲学者という側面も持ち、その上で皇帝になったことから「哲人皇帝」と称されました。

自らも『自省録』という著書を書き、皇帝となってからも自らの内面を省み続けいていたといわれています。

 

また東西交流も盛んとなり、中国の漢に「大秦国王安敦」という記載が残っていますが

これはアントニウスのことだといわれ、漢にローマから使者から送られたことが記録に残っています。

 

アウレリウスは180年、戦地で病没します。

帝位はそれまでの五賢帝の人物本位の選定ではなく直系の息子に引き継がれ、

この息子、コンモドゥスは暴君として名を遺すことになります。

 

◆名言

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今の瞬間だけに生きよ!

 

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人生のあらゆることを、それが最後だと思って行いなさい

 

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大きな夢をみよう。大きな夢だけが人の心を動かす

 

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人生とは自らの想いを実現することである

 

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怖れるべきは死ではない。真に生きていないことをこそ怖れよ

 

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もうしばらくすれば君は灰か骨になってしまい、単なる名前にすぎないか、もしくは名前ですらなくなってしまう。そして名前なんていうものは単なる響き、こだまにすぎない。人生において貴重がられるものはことごとく空しく、腐り果てており、取るに足らない

 

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善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて善い人間になったらどうだ

 

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君がなにか外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ

 

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今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることをおこない、話し、考えること

 

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エメラルドは、人に褒められなくても、その価値を失わない

 

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それは不運ではない。むしろ、それに気高く耐えることが幸運である

 

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むかちん