むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記117 三権分立を唱えた〜モンテスキュー

新宿から歴史を発信!!むかちんです(≧∀≦)

 

今日は、中高でも習った、三権分立を唱えた

 

モンテスキュー(1689-1755)

 

を紹介しますヽ(・∀・)人(・∀・)ノ

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC

 

モンテスキュー啓蒙思想の代表的思想家として知られ、

彼はボルドー大学で法律を学びました。

ボルドー高等法院の判事となり、院長も務めました。

 

1721年に匿名で発表した「ペルシア人からの手紙」で、フランスの封建社会絶対王政を鋭く批判します。

1728-31年にイギリスに滞在し、立憲君主政下での議会政治に直接触れ、イギリスの影響を受けて、その観点からもフランスを批判します。

 

彼はその後は著作活動に専念し、彼の世界的な代表作『法の精神』を1748年に発表します。『法の精神』はイギリスの議会政治を模範としながら、ロックの社会契約論を継承、さらに、いわゆる三権分立論を唱え、アメリカ合衆国憲法フランス革命にも大きな影響を与え、現在でも世界の国々で幅広く受け入れられる考え方として根付いています。

 

◆名言

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世の中で成功を収めるには、馬鹿のように見せかけて、利口に活動することだ。

 

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我々が幸福になりたいと望むだけなら簡単だ。しかし、人は他人になりたがるので、そうなるには困難だ。我々は、他人はみんな実際以上に幸福だと思っているからだ。

 

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偉大なことを成し遂げる人は、常に大胆な冒険者である。

 

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才能とは、神からひそかに与えられ、しかも、我々がそれとは知らずに明るみに出す、授かり物である。

 

ーーーーーー

私たちは三つの教育を受ける。一つは両親から。もう一つは教師から。残りの一つは社会から教えられる。そして、この三番目は、初めの二つの教えにすべて矛盾するものである。

 

ーーーーーー

真に偉大な人間になるためには、人々の上に立つのではなく、彼らと共に立たなければならない。

 

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人間は考えることが少なければ少ないほど余計にしゃべる。

 

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愚か者は、まじめさを盾にする。

 

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むかちん

 

 

むかちん歴史日記116 ウルトラマンの産みの親〜円谷英二

新宿から歴史を発信!!むかちんです(*´∀`*)

 

今日は日本が誇る特撮ヒーロー、ウルトラマンの生みの親、

 

円谷英二さん(1901-1970)

 

を紹介しますヽ(・∀・)人(・∀・)ノ

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E8%8B%B1%E4%BA%8C

 

◆独自の技術で特撮界に多大なる功績を残したことから「特撮の神様」と呼ばれている円谷さん。

ひょんなことから映画界に入り、途中、東宝に入社します。

 

1941年太平洋戦争に突入、この頃は戦争映画などの戦意高揚目的の映画が製作され、

円谷の映画は非常に好評だったそうです。

 

戦後、円谷は戦意高揚映画に加担したとして、公職追放され、東宝も退職します。

この頃、円谷は非常に困窮していたそうです。

 

のち、円谷は再び東宝で活躍し、

ゴジラ』などの撮影も行います(〃^∇^)o_彡☆

 

その後テレビ界への進出も進み

1966年にTBSで『ウルトラQ』が放送されます。

これが全国に怪獣ブームを巻き起こすことになります。

 

そして同年7月より『ウルトラマン』の放送開始。

これにより「円谷英二」の名前はお茶の間に広く知れ渡り

円谷は「特撮の神様」と呼ばれるようになるのです。

 

◆名言

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天から降ってくるのを待つのではなく、自分の力で作り上げることを喜び幸せとしなさい

 

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仕事に生かせるものはないかっていつも考えているんだ

 

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結局自分で考えながら、一人でやる以外なかったわけです

 

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まず『出来る』って言う。方法はそれから!

 

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他人から『できますか?』と聞かれたら、とりあえず『できます』と答えちゃうんだよ。その後で頭が痛くなるくらい考え抜けば、大抵のことはできてしまうものなんだ

 

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むかちん

むかちん歴史日記115 江戸の俳聖〜松尾芭蕉

新宿から歴史を発信!!むかちんです♪( ´▽`)

 

今日は俳聖、

 

松尾芭蕉(1644-1694)

 

を紹介しますヽ(・∀・)人(・∀・)ノ 

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%8A%AD%E8%95%89

 

三重県伊賀市で誕生し、詳しいことはまだわかっていません。

彼の代表作といえば『おくのほそみち』ですが、

松尾芭蕉が下野、陸奥、出羽、越後、加賀、越前などをめぐる旅をして、

この彼にとって未知の国々を巡る旅で、多くの名歌が詠まれました。

 

1694年、俳諧紀行文『おくのほそみち』が完成しました。

同作は400字詰め原稿用紙50枚程度ですが、松尾芭蕉が練りに練って

3年がかりでまとめたものです。

それを2年かけて清書を書きました。

 

松尾芭蕉はその後、西国の弟子たちのもとへ向かう旅に出ますが、

大阪で病に伏して、そこで永眠しました。享年50歳。

 

松尾芭蕉が生涯に詠んだ句は約900句。

芭蕉のわび・さびの精神や匂ひ・うつり・響きといった視覚、嗅覚、聴覚を駆使した表現は、多くの人を魅了しました。

そして彼は「俳聖」といつの頃からか俳聖と呼ばれるようになりました。

 

「旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る」

 

これが松尾芭蕉の最後の句になりました。

 

むかちん

 

むかちん歴史日記114 ロシア連邦共和国初代大統領〜ボリス・エリツィン

新宿から歴史を発信!!むかちんです(*´∀`*)

 

今日はロシア連邦の初代大統領、

 

ボリス・エリツィン(1931-2007)

 

を紹介しますヽ(・∀・)人(・∀・)ノ

 

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参照元

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%84%E3%82%A3%E3%83%B3

 

エリツィンゴルバチョフ政権下のペレストロイカ期にモスクワ市第一書記となり、

改革派の最も急進的な存在でした。

それ故に、ゴルバチョフが進めたペレストロイカは緩慢であると公然と批判し、第一書記を解任されます。

 

ペレストロイカが進展し、ソ連を構成する共和国の分離が問題になると保守派が巻き返しを図ってきます。

これを機にエリツィンソ連共産党を離党し、ロシア共和国の直接選挙によって、

ロシア共和国大統領に選出されます。

 

1991年8月、ソ連共産党の保守派のクーデターが起こると、エリツィンはこれを鎮圧、

ゴルバチョフに迫って、ソ連共産党を解体させ、さらにロシア、ソ連ベラルーシの三国で独立国家共同体(CIS)を創設し、ソ連の解体を実現しました。

 

エリツィンはロシア共和国をロシア連邦に改称、資本主義化を急速に進めていきます( ´ ▽ ` )

 

価格自由化、金融改革などで急速にインフレが進み、国民生活は逼迫、官僚たちが甘い汁を吸うなどの事態も横行したため、エリツィン改革への不満が高まり、各地で紛争が起こりました。

エリツィンはこれを強硬に武力で弾圧し、世界から非難を受けることとなります。

 

彼はその後、健康不安により、後継者をプーチンに指名し、ロシア大統領を退任します。

 

むかちん

むかちん歴史日記113 ソニーの生みの親〜盛田昭夫

新宿から歴史を発信!!むかちんです(*´∀`*)

今日はソニーの創業者、

 

盛田昭夫さん(1921-1999)

 

を紹介しますヽ(・∀・)人(・∀・)ノ

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%9B%E7%94%B0%E6%98%AD%E5%A4%AB

 

◆1946年、井深大と共にソニーの前身となる東京通信工業株式会社を設立しました。

1950年に日本初のテープレコーダー「G型」を発売します(*´∀`*)

 

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参照元 

https://weekly.ascii.jp/elem/000/000/184/184257/

 

井深大と共に、技術者でありながら、営業の側からソニーを売り込んで、世界的企業に育て上げました。

盛田は非常に社交的だったと言われていて、盛田の人脈は日本に止まらず、世界的な大物とも付き合いが深かったと言われています。

 

例えば、IBM会長のワトソン・モトローラワシントン・ポスト会長のキャサリン・グラハム、ハーバード大学教授のキッシンジャー、英国の元首相マーガレット・サッチャーなど錚々たる人物と繋がりがあったそうです。

 

彼はパーティーなども頻繁に開催し、ソニーという会社を必死に売り込んで、

ソニーを世界的企業に押し上げたと言われています。

 

ソニーは日本初のトランジスタラジオやウォークマンを発表し、一躍世界的企業になって行きます♬

 

◆名言

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失敗は防ぎようがない。大切なのは、その原因を突き詰めること。それは社員教育、会社の糧になるのだから。

 

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自分の正しいと思ったことはどんどんやれ。間違っていたら変えればいいだけだ。

 

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マーケットサーベイ(市場調査)には頼らない。「あなたは何がいりますか」と聞いてつくっていたんでは遅いんですよ。

 

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ソニーというのは生意気な人の個性を殺さない会社。

 

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人の心を打つためには、下を向いて原稿を読んではダメだ。

 

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人は誰でも種々様々な能力を持っているものなのに、どんな優れた能力があるかを知らずにいる場合が多い。

 

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ソニーに関係のあるすべての人に幸福になってもらうことが私の念願であるが、とりわけ社員の幸福は、私の最大関心事である。なんといっても社員は、一度しかない人生の一番輝かしい時期をソニーに委ねる人たちであるから、絶対に幸福になってもらいたい。

 

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むかちん

むかちん歴史日記112 ルネサンス文化の先駆者〜ダンテ

新宿から歴史を発信!!むかちんです♬

今日はルネサンスの先駆者

 

ダンテ(1265-1321)

 

を紹介します(〃^∇^)o_彡☆

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参照元 

https://imagenavi.jp/search/detail.asp?id=51509034

 

◆ダンテの生い立ちについては確たる記録が乏しいため、定かとなっているものは少ないです。

ただ、彼は「ベアトリーチェ」という女性を大変愛したそうなのですが、結ばれず、

しかし、彼女が24歳の若さでこの世を去ったことに衝撃を受けて、

生前の彼女のことを唄った詩をまとめた『新生』を著します。

また、彼の傑作『神曲』の中にも彼女は登場します。

 

◆このダンテは「ルネサンス」の先駆者と言われています。

多くの方は「ルネサンス」という単語は聞いたことがあっても、

それが意味することをあまり認識ないかもしれませんが、

ルネサンスというのはヨーロッパで始まった古典の復興で

ギリシア、ローマ文化の復興を指しています。

 

ではその時代の「ルネサンス」にはどんな意義があったかというと、

当時のヨーロッパは歴史的にゲルマン民族が侵入し、

それによって始まった封建社会や神を絶対視し、人間は罪深いものとするローマ教皇の思想が支配している中世を「暗黒時代」とみなしていたため、

 

ルネサンスはそこからの解放を目指す運動という捉え方があります。

 

ダンテの名著、『神曲』はラテン語ではなく、民衆でも理解できるトスカナ語で記載されていたため、

民衆の間にも広まったと言われています。

 

◆名言

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今日という日が、再び来ないことを思え。

 

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心ある人は時間の損失を最も悲しむ。

 

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意志は、自ら願うにあらざれば決して滅びず。

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むかちん

むかちん歴史日記111 K-1のスター〜アンディ・フグ

新宿から歴史を発信!!むかちんです(≧∀≦)

 

今日は、K-1のスターでかかと落としと言えばこの方、

 

アンディ・フグ(1964-2000)

 

を紹介します。

 

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参照元 

http://www.boutreview.com/report/k1/00/08hug/profile.html

 

アンディ・フグ選手は

スイス出身のK-1ファイターで、K-1の一時代を築いた一人と言っても過言ではないと思います。

 

彼の得意技はかかと落としで、基本でKOで勝つかKOで負けるかどちらかという、ある意味わかりやすい試合をする選手でした。

 

ピーター・アーツアーネスト・ホーストマイク・ベルナルドと合わせて、K-1創世記の四天王と呼ばれ、K-1を押し上げた格闘家の一人です。

 

1996年に1994年、1995年の雪辱を果たして、優勝を飾りました。

彼のスタイルは倒されても倒されても不屈の精神で立ち上がり、逆転していくスタイルで、彼の試合を見ていると大きな感動を与えられます。

 

2000年にトーナメント出場する予定だったが、

日本医科大学附属病院にて急性前骨髄性白血病で危篤状態であることが発表され、

病院で死去しました。

 

彼は死の淵で角田信朗の呼びかけなどに応じたのか、3度息を吹き返すものの

そのまま他界しました。

 

その死は日本でもスイスでも大きな衝撃を与え、彼の告別式はテレビで生中継されました。

 

◆名言

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自己流で格闘技をおこない、『自分は強い』と言う君を、世間は笑うかもしれない。
だが、私は、けっして君を笑わない。
なぜなら、私も少年の頃『空手の世界チャンピオンになる』と言って、笑われていたが、K-1チャンピオンになれたからだ。
誰にでもチャンピオンになれる可能性がある。
だから、私は手を抜かず、真剣に君の試合の相手をつとめた。私は君を笑わない。

 

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あきらめないで自分を信じて欠点を矯正していく。
それが一番大切だ。

 

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前向きに進む精神があれば必ず成功する。

 

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プロのファイターである以上勝つだけではいけない。
ファンの皆さんがどんな私の勝ち方を見たいと思っているのかそれを意識した上でその期待に応えるべく毎日努力する それがプロだ。

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どうせ勝てないだろうと全力を出さないものが多いが、彼らは本気で勝とうと挑戦してきた。

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むかちん